2009年4月3日に永眠された一杉洋之さんを偲ぶページです。 (掲載日2009年5月31日)

一杉洋之さんは、通勤途上のカーラジオで知った2003年10月18日の関東地区第4回ゴム銃射撃大会で初参加。
発足3周年記念関東地区記録会参加を経て同年12月7日に日本ゴム銃射撃協会に入会されました。729人目の
ご入会で、神奈川県横浜市旭区の支部長に就任されました。その後は、関東地区の殆どの射撃大会、イベント
に参加されました。ご入会以来、射撃銃をはじめガトリングガン、イングラム、水平二連銃など斬新なアイデア
と卓越した技術でゴム銃を進化させてこられました。公式競技用タイマーの開発にも尽力されるなど、様々な
面でゴム銃の普及と日本ゴム銃射撃協会の発展に多大に貢献されました。56才という早すぎるご逝去が誠に惜し
まれてなりません。ここに在りし日のご活躍のお姿を掲載しその功績を讃えます。氏を知る人に氏のゴム銃に注
がれた情熱と、全ての人に優しかったお人柄を偲ぶよすがとなれば幸いです。

2009年5月31日 日本ゴム銃射撃協会 理事長 中村光児。



代表作、CG-45は、俳優の薬丸裕英さんや経済アナリスト森永卓郎さんにも進呈された。


NHK熱中サミットの打ち上げにて。 ユージンのガチャゴム銃を使ったガトリングガン。



サービス精神旺盛な一杉さんは、大量のオーバンドを多数の人々のためにセットし続けた。




所沢市支部長森永卓郎氏と(熱中生活フェスタ2007にて)。








三角回転翼を使ったハンドガトリング銃は、各地に買い取られて活躍している。


ご自身で発射された何倍も人々に試射を勧め、感動を与え続けた。








世代、性別に無関係にやさしく親切に接する姿が忘れられない。


多くのイベントに参加され、記念写真にもレギュラー出演。




ゴム銃の解説、制作教室でも常に懇切丁寧な説明や指導をされていた。



猛暑の名古屋城宵まつりでも大活躍。名古屋の夜空にも歓声が絶えなかった。


一杉さんの作品はマスメディアの大好物でもあった。








亡くなられる一週間前のイベントにも参加しておられたのに・・・


素材の性質、加工のノウハウなどに卓越した知識をお持ちで、指導、影響を受けた会員は非常に多数おられると
思います。殊に人に進呈したり、使わせたりする銃の堅牢さには非常に注意を払っておられました。ものづくり
に対する単なる拘りではなく、人への優しさ、思いやりの気持ちの現れだったのだろうと思います。この精神は
日本ゴム銃射撃協会会員は勿論、その対外的な活動を通じて広く世間に伝えていきたいものです。

以下、ゴム銃のページのガンロッカーに納められた一杉さんの作品です。




氏作品は機関部の設計もデザインも秀逸で完成度が高く、特に大人に人気がありました。